
[東京新聞(2017年2月9日)↑]
山本哲正記者による、<元軍国少年が願う平和 戦時中の日記から>と題した小澤俊夫さんのインタビュー3回シリーズ。
【<元軍国少年が願う平和 戦時中の日記から> (上)戦中の教育、復活を心配】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201708/CK2017081502000165.html)と、
【<元軍国少年が願う平和 戦時中の日記から> (中)罪悔いる表明せねば】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201708/CK2017081602000177.html)と
【<元軍国少年が願う平和 戦時中の日記から> (下)言葉のすり替え今も】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201708/CK2017081702000173.html)。
《グリム童話など昔話の研究者で、筑波大名誉教授の小澤俊夫さん…「子どもから変えていこうという動きは実に悪賢い」。小澤さんは現代の教育環境についても、政府が保育園児や幼稚園児に国旗と国歌に「親しむ」ことを求めていることなどを不安視する。「教育勅語を是認する閣僚も出てきた。僕らが昔、受けた教育であり、危機感を持っている」》。
《小澤さんは「十五歳の僕の文章を今読むと、教育というものがいかに恐ろしいものかを強く感じる。完全にだまされていた」と振り返る…必ず案内するのが「ブーヘンヴァルト強制収容所」。ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害を示す地だ。少年時代、ヒトラーを評価してしまった小澤さんにとって特別な場所だ。「自分たちの加害をはっきり残し『もう絶対にやらない』と世界に約束しているのが、すごい」》。
《本質を隠す言葉のすり替えが許せなかった…「正確に言えば戦闘を『開始した』とか『襲撃した』でしょう」。「入れり」という表現は「『沖縄は台風何号の暴風圏に入れり』のような自然現象の説明。誰も自然現象には責任を持ちません。『敗戦』を台風が終わったみたいに『終戦』と言い換えて、誰も責任をとろうとしない」…「『共謀罪』を『テロ等準備罪』と言い換えたり、集団的自衛権の行使に『積極的平和』の言葉を使ったり。実に巧み》。
教科書検定や「ト」な歴史教科書の採択強要 ハタやウタの強制、道徳の教科化(文科省道徳教育教材『わたしたちの道徳』)、教育勅語の復活、古くは忠魂碑訴訟…現代の教育破壊は着実に進む…。大変に憂慮すべき現状なニッポンの教育環境。
『●『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了(1/4)』
『●『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了(2/4)』
『●『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了(3/4)』
『●『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了(4/4)』
『●教育壊革!? ~忠魂碑と教育塔~』
『●「敗戦特集」 『週刊金曜日』
(2014年8月8日・15日合併号、1003号)についてのつぶやき』
『●「道徳」を説く文科相がソレってOKなの?
「道徳心とか愛国心とかがコドモたちにとって安全」??』
『●「不正文科相が子どもに「道徳心」を説き得る」
「大臣を辞めながら反省どころか、威張る」・・・「珍芸」』
『●文科省道徳教育教材『わたしたちの道徳』・・・
コドモタチの道徳教育のための好例として記載を可能か?』
『●あぁ~あ、また言っちゃったよ、稲田朋美ダイジン…
教育勅語の「核の部分は取り戻すべきだ」と「是認」』
『●教育勅語「憲法や教育基本法に反しないような形で
教材として用いることまでは否定されない」と閣議決定!』
『●教育勅語復活問題…森戸辰男元文部相
「過去の文献として扱い、かりそめにも神格化することのないように」』
《戦争屋》のアベ様らには、侵略戦争への反省も無く、壊憲して再び「戦争のできる国」へ…、《自分たちの加害をはっきり残し『もう絶対にやらない』と世界に約束している》ドイツと彼我の差。そして今、「教育再生」という名の教育破壊が進む。札束で頬を打つように、最高学府の研究・教育にまで侵食。
『●「国策の名の下に研究者が軍事研究に加担させられた
歴史を繰り返そうとしている…亡国の施策だ」』
「テロ等準備罪」「衝突」「不時着水」…かつての「転進」を思い浮かばせる《本質を隠す言葉のすり替え》。
『●争点は「壊憲」:創価学会婦人部「ごめんよ 憲法ぐらい
変わっても生活はたいして変わらないと思ってね」』
『●アベ様参院選公約「子育て…」: 「3歳児、おなかすいて盗んだ」
…アベ様のニッポン、病んでいないか?』
『●「平和憲法」が風前の灯火: 壊憲の坂道を転げ落ち、
アベ政権と与党自公は戦争へと火に油を注いでいる』
『●「憲法を言葉遊びに使い」「憲法が分かっていない」
「法曹界の秩序の矜持もない」稲田朋美弁護士センセ』
『●「本当の権力の恣意的運用というルビコン川を渡った」自公お維
…「平成の治安維持法」参議院突破』
『●アベ様の《積極的平和主義》を愛し、
「子育ての党」を詐称する公明はとっくの昔に一線を越えている』
「平成の治安維持法」に関連した、以前も引用した以下の二つの記事も教育破壊に関わる。
日刊ゲンダイの記事【注目の人 直撃インタビュー/小澤俊夫氏が警鐘 「共謀罪で言論の息の根が止められる」】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/202513)には、《共謀罪の危険性を聞くなら、小澤俊夫氏だろう。筑波大名誉教授でドイツ文学者。世界的な指揮者、小沢征爾氏の兄、つまり、ミュージシャンの小沢健二氏の父親だが、今回はこの人自身の父親、開作氏の話から伺った。満州に渡り、石原莞爾に共鳴、五族協和を訴えた開作氏は大陸でも帰国後の日本でも特務機関の監視対象だったのである。テロ等準備罪などというが、治安維持法とどこが違うのか。今の安倍政権は日本をどこへ導こうとしているのか。貴重な戦争体験に基づいた警鐘――》。
また、リテラの記事【小沢健二の父・小澤俊夫が共謀罪と安倍政権批判! オザケン自身も権力の詐術を暴く鋭すぎる論評】(http://lite-ra.com/2017/04/post-3097.html)には、《オザケン父が「岸の末裔が首相では日本に未来はない」…オザケン祖父の「一番悪いのは岸信介だ」の意味…小沢健二が指摘する「デモが起こらない」ことの恐ろしさ…「対案を出せ!」という論法への鋭すぎる反論》
最後に、琉球新報の【<社説>道徳教科書採択 決定過程を検証すべきだ】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-556712.html)によると、《5年生の教科書に安倍首相の写真が掲載されている。現役の政治家であり、政治的中立を求めている教科書検定基準に抵触する恐れがある》…そうだ。
道徳の教科書に、反面教師としての「裸の王様」の《御真影》の掲載か? 正気なのだろうか? 倫理観なき自公お維トファの議員に投票できる方々の気が知れない。
『●「ホンモノの疑惑にメス」は入るか?…
何でも許す倫理観無き「責任政党」と手控える批判精神無きマスコミ』
『●室井佑月さん「安倍さん率いるこの国に、誇りが持てない」
…アベ様の辞書には「倫理」無し』
『●何度目かの「指摘は重く受け止めますが、
法的には問題がありません」ごっこ by 下村博文元文部科学相』
『●アベ様による血税4億円のトンチンカン・トンデモ
「ミサイル避難CM広告」によるメディア買収!?』
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201708/CK2017081502000165.html】
<元軍国少年が願う平和 戦時中の日記から> (上)戦中の教育、復活を心配
2017年8月15日
(担任の倉田三郎さんに赤ペンで書き込まれた日記を
手にする小澤さん=川崎市多摩区で)
敗戦から七十二年目の夏を迎えた。グリム童話など昔話の研究者で、筑波大名誉教授の小澤俊夫さん(87)=川崎市多摩区=は近年、戦時中の記憶を講演している。小澤さんが旧制中学の二年生から三年生のときに書いた日記には、日本軍の勝利を願う気持ちなどがつづられている。講演でこの日記を紹介するのは、こんな軍国少年になってはいけない、こんな時代を繰り返してはいけない、と考えるからだ。今回三回にわたって、この日記をもとに、小澤さんに今思うことを聞いた。 (山本哲正)
「日本の迎撃戦闘機が(米国の)B29に吸い込まれるように消えた。次の瞬間、B29が、ちぎれた銀紙のようにキラキラと落ちていった」。日本の戦闘機が敵機に体当たりした様子を小澤さんはこう振り返る。一九四五年一月九日の日記には「この体当たりを拝して感情興起せざるものがあろうか」と、軍国少年の興奮ぶりがつづられている。
通った小学校は現在の東京都立川市にあった。門の脇にまつられた天皇陛下の「御真影」に最敬礼。天皇のために身命を賭すよう求める教育勅語を暗唱させられ「軍国少年が出来上がった。そんな自分を『愚か』とは言わない。しかし免罪もされない。間違った流れに抵抗できない国にしてはいけない。発言する責務がある」。
そう考え、軍国主義を盲信した自分の姿が書かれた戦時中の日記を、このようになってはいけないとの思いを込めて講演で紹介する。日記を書いたのは四四年十二月十二日~四五年六月二十五日。B6判・六十ページのノートで二冊になる。
学徒勤労動員で一九四四年秋から、東京都南多摩郡(現在の稲城市)の工場で働いた。中学二年だった。
生徒指導は工場に任されたが、小澤さんの担任は生徒指導に責任を持ちたいと、生徒たちに日記を書いて提出するよう求めた。小澤さんはそれを書いて週一回、担任に見せた。
「軍が戦況の不利を国民に知らせなかったので国民が堕落した」など軍部批判も書き連ねた。担任は、戦後、東京学芸大名誉教授となった画家の倉田三郎さんで「君は、批判的であってよいと思ふ」と赤ペンを入れた。
父親の開作さんは当時の軍部を批判していた。小澤さんの兄の克己さんも、自らの日記に軍部の批判を書いた。これを見た兄の担任が「不穏当」と書き込んだ。克己さんは、親と学校の言うことが違って傷ついていたという。小澤さんは「子どもから変えていこうという動きは実に悪賢い」。
小澤さんは現代の教育環境についても、政府が保育園児や幼稚園児に国旗と国歌に「親しむ」ことを求めていることなどを不安視する。
「教育勅語を是認する閣僚も出てきた。僕らが昔、受けた教育であり、危機感を持っている」
(小澤さんが中学生のころに書いた日記)
◆昭和二十(一九四五)年一月九日の日記の一部
空襲警報により僕達は防空壕(ごう)で空を見つめてゐた。一機は我々の上空において震天制空隊の体当たりにより見事空中分解して炎上しながら墜落していった。我々は瞬間沈黙し次の瞬間萬歳(ばんざい)の声がとどろき渡った。ああ日本国民にしてこの体当たりを拝して感情興起せざるものがあろうか。
<おざわ・としお> 1930年、中国・長春生まれ。東北大大学院修了。東北薬科大講師、助教授を経て日本女子大教授、筑波大副学長などを歴任。グリム童話の研究に始まり、口承文芸理論を日本に紹介。日本の昔話の分析的研究も進める。2007年、ドイツのヴァルター・カーン財団が昔話などの研究に貢献した人に贈るヨーロッパ・メルヒェン賞を受賞。シンガー・ソングライター小沢健二さんの父親で、指揮者小澤征爾さんの兄。
【http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201708/CK2017081602000177.html】
<元軍国少年が願う平和 戦時中の日記から> (中)罪悔いる表明せねば
2017年8月16日
(昔のアルバムを開き、戦争のあったころの話をする小澤さん=川崎市多摩区で)
小澤俊夫さんの一九四五年四月三十日の日記には、ナチス・ドイツ総統ヒトラーの末路についての所感がつづられている。
「ドイツもいよいよだめかと思ふと国民やヒットラーが可哀相(かわいそう)でならない。しかしヒットラーは偉かった。世紀の英雄である。悲しきかな英雄の末路」などとある。
小澤さんは「十五歳の僕の文章を今読むと、教育というものがいかに恐ろしいものかを強く感じる。完全にだまされていた」と振り返る。
「ヒトラーは強い人と信じていたから、その人が負けて
どうなるのか、日本も負けるのかと怖かった。
『ファシズムは良いもの』だった。ユダヤ人迫害の情報など
入ってこなかった」
ただ、そのドイツと自らの関係は戦後、深まっていく。ゲーテ、シラーなどのドイツ文学やキリスト教、音楽に興味を持った小澤青年は、茨城大学に入学し「その三つに共通する言語」としてドイツ語を学び始めた。教材に使われたグリム童話に引き込まれたのが昔話研究を始めるきっかけとなった。
昔話の講義の受講者を連れて毎年、「グリム童話研修の旅」と称してドイツを訪れる。必ず案内するのが「ブーヘンヴァルト強制収容所」。ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害を示す地だ。少年時代、ヒトラーを評価してしまった小澤さんにとって特別な場所だ。
「自分たちの加害をはっきり残し『もう絶対にやらない』と
世界に約束しているのが、すごい」
小澤さんは、日本が「平和憲法を持つ国」として信頼される国になることを願うが「銃後の国民は戦争を半分しか見ていない」と指摘する。
父親の仕事の関係で子どもの頃、中国にいた。現地で、日本軍が中国人を殺害した話などを聞いた。そうした話を耳にしたのは現地にいたからだと考える。国内にいたなら加害は知りにくい。だから、銃後の国民にとって戦争といえば、空襲を受けた被害になってしまうのだと思う。
「結果的に加害に目をつぶっていることになり、
それが他国の人たちの目には傲慢(ごうまん)に映るんじゃないかな。
周りから尊敬され、平和国家として生きていくには、
ドイツのように過去を見つめる勇気を持ち、
罪を悔いていると表明しなければ」
◆昭和二十(一九四五)年四月三十日の日記の一部
七時の報道の時ヒムラー国内軍司令官が米英に降伏を申し出たと言ったので驚いてしまった。ドイツもいよいよだめかと思ふと国民やヒットラーが可哀相(かわいそう)でならない。しかしヒットラーは偉かった。世紀の英雄である。悲しきかな英雄の末路。天は努力家ヒットラーを見捨て給ふたのか。ムッソリーニも遂(つい)に捕へられてしまった。今は彼を救ふべき者とてない。否ヒットラーさへ救ふ隊もないのだろうか。しかし日本もうかうかしてゐればこのやうになるであろう。
<おざわ・としお> 1930年、中国・長春生まれ。東北大学大学院修了。日本女子大教授、筑波大副学長などを歴任。グリム童話の研究に始まり、日本の昔話の分析的研究に取り組む。シンガー・ソングライター小沢健二さんの父親で、指揮者小澤征爾さんの兄。
【http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201708/CK2017081702000173.html】
<元軍国少年が願う平和 戦時中の日記から> (下)言葉のすり替え今も
2017年8月17日
(戦時中に書いた日記を手に語る小澤さん=川崎市多摩区で)
小澤俊夫さんの父、開作さんは戦時中、軍部の横暴や官僚主義を批判した。後に首相となる東条英機と陸軍で対立した石原莞爾(かんじ)とも親交があった。俊夫さんの弟で世界的な指揮者の征爾さんの「爾」も「莞爾」からもらったという。
開作さんは特高警察などに監視されたが批判をやめず、小澤さんは冷や冷やしたそうだ。
そんな父親の影響なのか正義感が強く、本質を隠す言葉のすり替えが許せなかった。一九四一年十二月八日午前七時、「帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」とラジオから流れた臨時ニュースが忘れられない。
「正確に言えば戦闘を『開始した』とか『襲撃した』でしょう」。「入れり」という表現は「『沖縄は台風何号の暴風圏に入れり』のような自然現象の説明。誰も自然現象には責任を持ちません。『敗戦』を台風が終わったみたいに『終戦』と言い換えて、誰も責任をとろうとしない」
小澤少年の四五年六月四日の日記には「戦局は不利になったのに新聞などが『楽観を許さず』とかいって認めないのは遺憾である」という趣旨のこともつづられている。
言葉の持つ意味を正確に調べて初めて昔話を研究・継承できると考える。小澤さんは「どのような政治が行われているか検証するにも、正確な言葉で語られていることが重要。政府が言い換えをしていると検証するのが難しく、責任もどこかにいってしまう」と指摘し「日記に書いた、言葉をすり替える手口は、今も横行しているようだ」。
政府は、南スーダン国連平和維持活動(PKO)派遣部隊をめぐり、現地の政府軍と反政府勢力の争いを「戦闘行為ではなかった」「散発的、偶発的衝突が発生している」と国会答弁。部隊の日報には「戦闘」「攻撃」の表現が並び、答弁とは開きが見受けられた。この言い換えは、日報の隠蔽(いんぺい)問題でも注目された。
「『共謀罪』を『テロ等準備罪』と言い換えたり、
集団的自衛権の行使に『積極的平和』の言葉を使ったり。実に巧み」
昔話は絵本がなかった時代、言葉だけで成り立っていたと小澤さん。「昔話では、場面が見えるようにいかに正確に語れるかが勝負だと、教え子にも指導しています。だから、簡単に言葉を言い換えるのは許し難いことなんです」
◆昭和二十(一九四五)年六月四日の日記の一部
沖縄の戦況が近頃大部(だいぶ)危ないらしい。今迄でも危なかったのにそれを有利であるやうに伝へてゐた者は大きな罪だと思ふ。又(また)こんなに不利になったのに新聞等には未(いま)だに「楽観を許さず」とか何とか云(い)って率直に戦局を認めないのは甚だ遺憾である。殊に戦果でも敵に与へたものだけ言ってこちらのはかくす上に敵が損害を発表すると必ず「小出し発表」等と言ふのはよくないと思ふ。(中略)もっと正確に戦局を国民に知らせなければデマも飛ぶ訳である。
<おざわ・としお> 1930年、中国・長春生まれ。東北大学大学院修了。日本女子大教授、筑波大副学長などを歴任。グリム童話の研究に始まり、日本の昔話の分析的研究に取り組む。シンガー・ソングライター小沢健二さんの父親で、指揮者小澤征爾さんの兄。
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