
[※ 「武器ではなく鍬とスコップで平和を築いた/中村哲が生涯をかけて示したこと」(週刊金曜日 1414号、2023年03月03日号)]
(2026年1月4日[日])
ニッポンでは、今や《核保有が公然と語られる》…正気じゃぁない。歴史の忘却…愚かだ。記憶が継承されない哀しい国。「プルトニウムをつくる装置」核発電所も、今や全開。
東京新聞の記事【こちら特報部/核保有が公然と語られる今だから… 被爆者の証言保存に奔走する栗原淑江さんが感じる、「資料」の重さ】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/459630?rct=tokuhou)によると、《◆「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」演説原稿も 継承する会は、東京都杉並区とさいたま市南区に資料の保管庫を設置。膨大な資料は、書籍や冊子などが約2万冊に上るとされる。1956年の被団協結成大会で読み上げられた宣言文をはじめ、約1万3000人の被爆者からの証言を含む調…》。
被爆国ニッポンで《核兵器の脅威が現実味》…80年間の塗炭の苦しみを想像できない者が2025年参院選の東京選挙区で第2位当選してしまう醜悪さ。
日刊スポーツのコラムを再掲、【政界地獄耳/20年前は大騒ぎだった…「核保有論」今昔】(https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202508020000036.html)によると、《「こう考えると核武装が最も安上がりであり、最も安全を強化する策の1つだとは考えています」とした。最近は党に従うと個人の見解とぼかし始めているが、戦後80年で、街頭でこれを訴えて当選してくる時代だ。…毎日新聞によれば今回、「核兵器を保有すべきだ」と8人の参政党議員が回答しているという》
専守防衛の国、非核の国に原子力潜水艦? 《原潜は技術的には核ミサイルを搭載することも可能だ》というよりも、それ以外の目的って何? それ(核保有)しかないでしょ。〝的〟として、地上の核ミサイル基地はキケン? あほですか、何基の核発電所がニッポンに在ると思っているの⁇
佐藤裕介記者による、東京新聞の記事を再掲、【こちら特報部/高市政権が原潜保有の道に踏み込んできた 連立相手がブレーキからイケイケに変わって「一気にやりやすく」】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/445126?rct=tokuhou)によると、《高市早苗政権が「次世代の動力を活用」した新型潜水艦の保有を推し進めようとしている。原子力潜水艦を念頭に置いているとみられ、保有に突き進めば原子力の平和利用との整合性が問われる。原潜は技術的には核ミサイルを搭載することも可能だ。高市首相は過去に非核三原則の見直しに言及しており、市民や識者からは懸念の声が上がっている。(佐藤裕介)》。
『●被爆国ニッポンで《核兵器の脅威が現実味》…80年間の塗炭の苦しみを想像
できない者が2025年参院選の東京選挙区で第2位当選してしまう醜悪さ』
『●1940年、斎藤隆夫元衆院議員が中国との戦争を
批判する「反軍演説」を行った…【何が"去り際の宰相"
を突き動かすのか? 石破首相が《復活》に執念を…】』
『●ニッポンは、《宮澤喜一元外相の言葉にあわせれば、
「武器を輸出して稼ぐほど落ちぶれ、高い理想を
捨てた国」になり果てたといえる》(半田滋さん)』
『●極右タカイチお維政権なんてものを誕生させたニッポン、
堕ちたものだ…《宮澤喜一元外相の言葉にあわせれば、
「…高い理想を捨てた国」になり果てた》』
『●《武器を輸出して稼ぐほど落ちぶれ、高い理想を捨てた国》
…《あと2カ月余りで「戦後80年」が終わるが、それを
前に、新たな「戦前ゼロ年」が始まったかのようである》』
『●トランプ氏、ニッポン再上陸: アベ様譲りの害交炸裂、
恥ずかしくて見ていられない醜悪さ…アベ様のお得意
だった害交・害遊を継承する極右タカイチお維政権』
hibidokugaku.hatenablog.com
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/459630?rct=tokuhou】
こちら特報部
核保有が公然と語られる今だから… 被爆者の証言保存に奔走する栗原淑江さんが感じる、「資料」の重さ
2026年1月3日 06時00分
新年連載〈風のなかで〉②
中傷、やゆ、侮蔑。胸を締め付ける風潮がある。差別、排外主義、陰謀論。社会を翻弄(ほんろう)する風が吹き荒れる。戦火をあおる空気が広まる一方、悲しみの記憶が風化する危惧も。さまざまな風にさらされる今、どう生きるべきか。自らの道を歩む人びとから探る。
◇
◆原爆被害は、本当に「受忍」できるものなのか
「原爆被害は、本当に『受忍』できるものなのか。被爆者の体験を明らかにしていくことを通じて、背景にあるこの国の戦後における被爆者対策の問題点も浮き彫りにしていくことができるのではないか」
(反戦に対する思いを話すNPO法人「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を
継承する会」の栗原淑江さん=さいたま市南区で(松崎浩一撮影))
2025年12月13日、東京都千代田区で開かれたNPO法人「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の今後の活動を考えるワーキンググループの会合。栗原淑江(78)は、戦後の被爆者運動の記録を正確に読み解き、「ヒバクシャ」を巡る問題を未来に伝える責任の重さをこのように訴えた。
「ふたたび被爆者をつくるな」を合言葉に核廃絶を訴え続け、2024年にノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)。1954年の米国による太平洋・ビキニ環礁での水爆実験で「第五福竜丸」の乗組員が被ばくし、原水爆禁止運動が拡大する中、1956年8月に長崎で結成された。
「戦争の犠牲や被害は、国民が等しく受忍(我慢)しなければならない」とする「戦争被害受忍論」に反発し、原爆被害への国家補償を求め続けてきた。
◆大学3年、ゼミの調査実習をきっかけに
継承する会は、被団協と連帯して被爆者運動の記録や被団協の宣言文、被爆者の調査資料などの保存に取り組む組織として2011年12月に発足。呼びかけ人には、反核平和を訴え、「ヒロシマ・ノート」などの著作があるノーベル文学賞受賞者の故・大江健三郎も名を連ねている。栗原は、継承する会の事務局で、資料の保存管理を担当する。
(「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の発足を発表する
大江健三郎さん(右から2人目)ら関係者=2011年11月、
東京都内で(被団協提供))
栗原が被爆者の話題に最初に関わりを持ったのは大学3年の時。「ゼミナールの調査実習で、長崎の被爆者の生活関連の調査活動に加わった。当時、社会の具体的な問題や人間そのものの問題に触れることができる機会はあまりなかった」。その後、大学の先輩に誘われ、被爆者運動の歴史に関する研究会に出席。そうした流れの中で、被団協の活動にも参加するようになった。
栗原によると、被爆者の運動は当時、1960年代に政治的な要因で分裂した原水爆禁止運動から自立を図ろうとする「困難な時期」にさしかかっていた。そうした中で、被爆者への援護拡大を求める活動などを通じて「被爆者が本当に何を求めているのかという要求を練り上げていった。タイミング的にはとても勉強になった」と振り返る。
◆資料の管理が勧告されて半世紀が過ぎたが
原爆関連の資料の管理や伝承については、日本学術会議が1971年、当時の首相・佐藤栄作に「原水爆被災資料センター(仮称)」を東京や広島、長崎に設置するよう勧告したものの、実現することなく、長年の懸案事項となっていた。
(整理され、積み上げられた箱の中に保存されている日本被団協の
関連資料=さいたま市南区で(松崎浩一撮影))
被爆者は高齢となり、次々と亡くなっていく。原爆の惨禍にとどまらず、「あの戦争」の事実がどんどん遠い過去になっていく。このままの状態で、被爆者に関する記録が後世に正確に伝わっていくのか。そうした危機感が、学術会議の勧告から40年がたってようやく結実し、継承する会の発足につながった。
栗原はこう強調する。「国際的な発信を含めて、記録の伝承をやらなければという思いはみんなが持っていた。ぎりぎりのタイミングだった」
◆「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」演説原稿も
継承する会は、東京都杉並区とさいたま市南区に資料の保管庫を設置。膨大な資料は、書籍や冊子などが約2万冊に上るとされる。1956年の被団協結成大会で読み上げられた宣言文をはじめ、約1万3000人の被爆者からの証言を含む調………………。
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