
[※ ↑「世界を照らす日本国憲法/次世代につなげる願い」「裏金議員に送る言葉は「汚れた手で憲法にさわるな」」(週刊金曜日 1470号、2024年4月26日・05月03月合併号)](https://twitter.com/ActSludge/status/1783821873312411852)
(2025年10月05日[日])
国会の議事録から削除された斎藤隆夫元衆院議員の「反軍演説」。石破首相がその《復活》に執念を燃やしているそうだ。是非、頑張ってほしい!! 《全会派が賛成すれば、議事録は復活できる》のだが、さて、各会派はどうする?
東洋経済新聞の記事【何が"去り際の宰相"を突き動かすのか? 石破首相が《復活》に執念を燃やす「ある国会議事録」の正体/星浩】(https://toyokeizai.net/articles/-/908177?display=b)によると、《退陣を間近に控える石破茂首相。そんな去り際の宰相が、実現に執念を燃やしていることがある。過去に国会の議事録から削除された、ある演説の復活だ。日本が軍国主義に突き進んでいった1940年、ある衆議院議員が中国との戦争を批判する演説をした。これに軍部が反発、議員は除名されたうえ、演説の大半が議事録から削除された。この議事録を復活できないか――。自民党幹部に野党との話し合いを始めるよう指示した。全会派が賛成すれば、議事録は復活できるという。石破氏の執念は、はたして実を結ぶのか》?
『●福島瑞穂氏への「絶対権力」者の横暴と狭量:
「自らと異なる立場に対する敬意や尊重などかけらもない」』
(アサヒコム)《言論をめぐる、昨今の自民党の行状が目にあまる。
1日の参院予算委員会での社民党・福島瑞穂氏の発言について、
自民党は「不適切と認められるような言辞があった」として修正を
求めている……福島氏は拒否し、「国会議員の質問権を
こういう形で抑え込もうというのは極めておかしい。
表現の自由に関わる」と反発》
(アサヒコム)《1940年に政府・軍部の日中戦争の対応を
批判した斎藤隆夫の「反軍演説」が、衆院本会議の議事速記録
から削除されたことを引き合いに出したものだ。反軍演説は
3分の2が議長職権で削除された。この演説が原因で斎藤は
衆院議員を除名された。その後、各政党は解党し、大政翼賛会を
結成した。長妻氏は「野党が大声を上げ国民に問題点を
説明しないと、自由の範囲が狭くなり、戻れない地点まで
行きかねない」とも語った》。
『●鶴彬さんの「生きた世」…自公を支持する皆さんは
人の親として「そんな世」を目指しているの?』
『●よっぽど人財が居ないのね、自民党には…
誰が自民党総裁になろうが、絶対にな~んにも変わりませんってば』
(東京新聞)《太平洋戦争が開戦する前年の帝国議会で
斎藤隆夫衆院議員(当時、以下同じ)が軍国主義を厳しく
批判した「反軍演説」に、繰り返し言及…斎藤氏と自らを
重ね合わせながら、強い相手に挑む構図をアピールする狙い》
《石破氏は講演やテレビ番組、派閥会合などで反軍演説に
たびたび言及し「暗殺の危険もあっただろうが、それでも本当の
ことを言わないといけない。本当に感動する。自分はまだまだだ」
と称賛》
「引用した東京新聞の記事、大笑いだ。口では《自分はまだまだだ》
と謙遜しつつも、《「反軍演説」自らと重ね》って、何かの冗談?
しかも、「核信者」の御言葉とは思えないですね。
《反骨の政治家に共感する姿勢を示している》? 《反骨の政治家》
…アベ様らと〝同根の政治家〟だと思うのですが。」
『●「個人攻撃」の何が問題? 「#選挙妨害を
暴力団に発注するアベ様」が国会議員、自民党総裁でいいのか?』
「そもそも、誰が総裁になろうが腐りきった自民党が変わる訳もない
ことが分かりきっている…虚しさ。自民党内の「壊憲論者」「核信者」
同士の優劣を考える…虚しさ。」
『●《太平洋戦争が開戦する前年の帝国議会で斎藤隆夫
衆院議員が軍国主義を厳しく批判した「反軍演説」》
…かつて斎藤氏と自らを重ね合わせたイシバ首相?』
『●《日本国憲法前文は戦争の発生原因を「政府の行為に
よつて」と明記している。国民は政府に戦争をさせては
ならないのである》(水島朝穂さん)』
《その点からすれば、本紙17日付1面肩の
「『反軍演説』会議録に全文を」と...》
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【https://toyokeizai.net/articles/-/908177?display=b】
何が"去り際の宰相"を突き動かすのか? 石破首相が《復活》に執念を燃やす「ある国会議事録」の正体
星浩 : 政治ジャーナリスト
2025/09/30 6:45
(1940年に「反軍演説」を繰り広げた斎藤隆夫衆院議員。
演説の大半は国会の議事録から削除されている(写真:共同))
退陣を間近に控える石破茂首相。そんな去り際の宰相が、実現に執念を燃やしていることがある。過去に国会の議事録から削除された、ある演説の復活だ。
日本が軍国主義に突き進んでいった1940年、ある衆議院議員が中国との戦争を批判する演説をした。これに軍部が反発、議員は除名されたうえ、演説の大半が議事録から削除された。
この議事録を復活できないか――。自民党幹部に野党との話し合いを始めるよう指示した。全会派が賛成すれば、議事録は復活できるという。石破氏の執念は、はたして実を結ぶのか。
■議事録から削除された“演説の主”
演説の大半が議事録から削除された議員は斎藤隆夫(1870~1949年)。兵庫県豊岡市に生まれ、苦学して弁護士になった後、1912年に衆院初当選。立憲国民党や立憲民政党に所属していたリベラル派論客である。
斎藤は1936年、軍部の政治関与を批判する「粛軍演説」を行い、その後、警察や軍部の監視を受けていた。一方で国民の人気は高く、中国との戦争が長引く中で斎藤の国会演説にはいつも注目が集まっていた。
1937年7月には盧溝橋事件が起き、日本と中国との軍事衝突が拡大していく。当時、「支那事変」と呼ばれた日中戦争に対して、国会では政府への追及が続いた。
そして、1940年2月2日。斎藤は衆院本会議場に登壇。米内光政首相(当時)らに対して「支那事変処理を中心とした質問」を始めた。冒頭は「支那事変はどうなるのか、国民はこの議会を通じて聴くことが出来得ると期待しない者は恐らく一人もいない」などと、穏やかな調子で始まった。
そして、次第に追及のトーンが上がっていく。
「十万の将兵は戦場に屍を埋めているでありましょう。これに幾倍する数十万の将兵は、いたましき戦傷に苦しんでいるでありましょう」「軍費については一厘一毛といえども支那からとることはできない。ことごとく日本国民の負担となる。日本国民の将来を苦しめるに相違ない」
■「犠牲を要求するばかりが政府の能事ではない」
演説の中盤では政府批判が強まる。
「例えば国民精神総動員なるものがあります。ずいぶん巨額の費用を投じているのでありますが、一体これは何をなしているのか私どもにはわからない」「国民に向かって緊張せよ、忍耐せよと迫る。国民は緊張するに相違ない。忍耐するに相違ない。しかしながら国民に向かって犠牲を要求するばかりが政府の能事(のうじ=成し遂げるべきこと)ではない」
斎藤は言論統制にも言及する。
「事変以来、わが国民は実に従順であります。言論の圧迫に遭って国民的意思、国民的感情も披歴することが出来ない」
最後に斎藤はこう結んでいる。
「内外の政治はことごとく支那事変を中心として動いている。予算でも増税でも、その他あらゆる法律案はいずれも直接間接に事変と関係を持たないものはないでありましょう。支那事変はいかに処理せらるるものであるか、これが相当に分からない間は議会の審議も進めることが出来ないのである」
斎藤演説は、民主主義のルール尊重を説くまっとうな内容であり、過激な表現や誹謗中傷は見当たらない。だが、軍備拡張や国民総動員を進めていた軍部は強く反発。その動きを察知した小山松寿衆院議長は、軍部批判や言論統制に触れた部分、全体の3分の2ほど(約1万字分)を職権で議事録から削除した。斎藤は強く抗議したが、覆ることはなかった。
さらに斎藤に対して除名を求める声が上がり、3月7日の衆院本会議で賛成296票、反対7票で除名が決定した。ただ、斎藤に対する国民の人気は高く、1942年の総選挙で、斎藤は軍部などによる妨害をはねのけて当選。議員の地位を回復した。なお、斎藤は敗戦後の1946年の衆院選(兵庫2区)でトップ当選し、第1次吉田茂内閣で国務大臣として入閣している。
■石破首相が「反軍演説」の復活にこだわるワケ
こうした顛末に関心を持ち続けてきたのが石破首相だ。「軍事オタク」で防衛相も経験した石破氏は、兵器に詳しいだけでなく、日本が戦争に突き進んだ歴史にも精通している。
その石破氏の愛読書が『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹著、中公文庫など)だ。官僚や民間企業の精鋭が首相直属の総力戦研究所に集められ、アメリカとの戦争の展開を予測。「敗戦は必至」との結論が出たが、当時の軍部や内閣はその結論を無視して戦争に突入していった経緯を描いたノンフィクションである。斎藤の反軍演説に対する除名処分と議事録削除は、この動きと重なる。
「なぜ日本は無謀な戦争に突き進んだのか」「政治はなぜその動きを止めることができなかったのか」。石破氏は長年、そういう問題意識を持ち続けてきた。そして、今年8月15日の終戦の日に内閣として戦後80年談話を出して戦争に至った経過を本格的に検証し、反省の気持ちを表明しようという思いを抱いていた。
だが、7月の参院選で自民、公明の与党は過半数を割り込む大敗。自民党内の保守派への遠慮もあって、80年談話を閣議決定する余裕はなかった。
その後、自民党内の「石破降ろし」が勢いを増し、石破首相は退陣を表明。後継首相を選ぶための自民党総裁選が繰り広げられている。石破氏としては、10月4日の新総裁決定の後に、戦後80年に関する「個人的見解」を出したい考えだ。
そうした中で浮上してきたのが、斎藤反軍演説の削除問題だった。石破氏には「政治が戦争への流れを止められなかった象徴的な出来事」と映っている。その削除部分を復活させることで、軍国主義に突き進んだ歴史への反省を示すことにもつながると考えている。
石破氏は、政権が1年で幕を閉じることになったことについて、「石破らしさが発揮できなかった」と悔やんでいる。「政治とカネ」の問題で、関係した議員らの復権を許さず、資金の透明化を進めることなどが「石破らしさ」と考えてきたが、目立った成果は出せなかった。
「戦争の検証と反省へのこだわり」も「石破らしさ」だが、こちらも十分に意志を貫けなかった。斎藤演説の議事録復活は、どうしても退任までに実現したい「石破らしさ」の1つなのだろう。
■石破首相は執念を貫けるか
実際の反軍演説は、演説当日に注目を集め、翌日の新聞の中には「演説全文」を掲載したところもあった。海外でも大きく取り上げられている。
議事録が削除されても、全文は多くの人々に読み継がれてきた。現在は、国立国会図書館の帝国議会会議録検索システムで削除後の「官報」を見ることができる。削除前の全文は、東北大学など、さまざまな研究機関のホームページなどに掲載されている。
衆院事務局によると、国会の歴史の中で不適切発言などによって議事録が削除されたケースは多いが、削除部分を復活させた例はないという。復活のためのルールも定まっていない。すべての会派が同意し、議事録の復活のための衆院規則が設けられれば、復活は可能だという。
石破首相の指示を受けた自民党の森山裕幹事長らが野党にも呼びかけ、与野党が議院運営委員会で削除部分の復活に向けた具体的な段取りを話し合うことになりそうだ。反軍演説の議事録復活で石破氏の執念が貫けるかどうか。石破政権最後の勝負どころである。
(一部敬称略)
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