日々読学

Since 2007年12月06日(木) ~Activated Sludge ブログ~

●東電核発電人災から15年: 福島の「原状回復」はどうなった? 「原発全開」し、いまや、アノ東京電力がアノ柏崎刈羽核発電所を再稼働する狂気の沙汰…


[※ ↑「原発さえなければと思います」(週刊金曜日、2021年03月12日、1320号)]


 (20260225[])
3.11東京電力核発電人災から15年目。
 15年も経って、福島の「原状回復」はどうなっているんですか? よくも「原発回帰」し、ましてや「原発全開」なんてできますね? 一体どんな神経してるんですか? 《<消える記憶 消される記憶>》、〝福島の記憶を消し去って〟いいのですか?

 東京電力福島第一核発電所人災から14年経過した今年一年間で、呆れることの連続だけれども、最も呆れたことは…核発電所に携わる資格無き、《世界最悪レベルの原発事故を起こした当事者》アノ東京電力がアノ柏崎刈羽核発電所を再稼働した狂気の沙汰。危険を冒して、命を賭して、一体この国は何をやっているのでしょうかね。「教訓」や「警告」に何も学ばないアホな国です。

 アノ東京電力がアノ柏崎刈羽核発電所を再稼働する狂気の沙汰…「核発電所さえなければ」「原発さえなければ」「福島の百姓は終わりだ」。《須賀川市農家の男性が64歳で命を絶った》。
 「原発さえなければと思います」―――《原状回復》なき《原発回帰》は許されない。「原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力明るい未来のエネルギー」「原子力正しい理解で豊かな暮らし」の虚しさをいい加減に理解してくれよ。

 再度の引用。片山夏子記者による、東京新聞の記事【「もう一度、原発事故が起きないと分からないのか」今も苦しみ続く福島の農業関係者、柏崎刈羽再稼働に怒り】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/463606)によると、《大量の放射性物質を放出した福島第1原発事故を起こした東京電力が21日夜、柏崎刈羽原発(新潟県)を再稼働させた。福島市の農業団体に勤める佐々木健洋さん(49)は、東京電力が費用捻出のために再稼働することに疑問を投げかける。「今も苦しみは続く福島で起きたことを見れば再稼働はあり得ないもう福島を忘れたのか」と訴える。(片山夏子)》


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 山川剛史記者による、東京新聞の上・下の記事【福島第1原発事故から15年、被災地は「どこへ向かうのか」 フォトジャーナリスト豊田直巳さんと歩いた】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/464130?rct=genpatsu)によると、《<消える記憶 消される記憶>㊤楢葉町双葉町》、《東京電力福島第1原発事故は3月で発生から15年となる。この間、被災地は除染や解体によってどんどん姿が変わり、元の街を思い出すのが難しい状況になっている。発生当初からずっと撮影し続けているフォトジャーナリストの豊田直巳さん(69)と一緒に現地を回り、撮りためた写真と現在を見比べながら、現地の状況を2回に分けてお伝えする。(山川剛史)》。
 【原発事故から15年、フォトジャーナリスト豊田直巳さんと歩いた双葉町~飯舘村 被災地は「どこへ向かうのか」】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/468626)/《<消える記憶 消される記憶>㊦楢葉町双葉町》《フォトジャーナリスト豊田直巳さん(69)が撮りためた写真でたどる東京電力福島第1原発事故の被災地の記憶。今回は双葉町から北上し、飯舘村民が避難していた仮設住宅跡までを回る。(山川剛史)》。

   お見舞い申し上げます…
   『あの3・11原発人災から1年: 松下竜一さん「暗闇の思想」を想う
   『3.11東京原発人災から2年が過ぎて
   『「福島原発事故の今」
      『週刊金曜日』(2014年3月7日号、982号)について

   『3.11東京電力原発人災から4年:
      虚しき「地球にやさしいエネルギー原子力 人にやさしい大熊町」
   『東電核発電人災から5年: 「今や世界の笑い者…
        政権批判をいとわないキャスターの首を差し出した」
   『●東電核発電人災から6年: 4つの「生」+「命」「活」「業」「態」…
                      どれか一つでも原状回復できたか?
   『●東電核発電人災から7年: 「村の生活は百年余りにわたり、
            人生そのもの」…「やっぱりここにいたいべ」
   『●東電核発電人災から8年: 《11日の夜9時すぎには、
           東電の社員も家族もだれ一人双葉町に残って…》
   『●東電核発電人災から9年: 金(カネ)色の五つの輪《オリンピック
           聖火リレーを前に「福島はオリンピックどごでねぇ」》
   『●東電核発電人災から10年: あの人災から何の教訓を得ることもなく、
      何も変わらないニッポン…核発電〝麻薬中毒〟から抜け出せないまま
   『●東電核発電人災から11年: 《原発事故は終わっていません。政府が
       復興の名のもとに困難に陥った人たちをさらに追い詰める…》
   『●東電核発電人災から12年: 暦が一巡して、2023年は再びの卯年…
     もう一回り前の卯年は《1999年9月30日。東海村JCO臨界事故…》
   『●東電核発電人災から13年: 汚染水海洋投棄を強行し、柏崎刈羽核発電所を
      再稼働したい東電…3.11の教訓は? 能登半島地震の「警告」を無視…
   『●東電核発電人災から14年: 核発電全開なんてやっている場合なのかね?
          環境省はニッポンの環境を守る行政機関、
                      それが汚染土をニッポン中に拡散?

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/464130?rct=genpatsu

福島第1原発事故から15年、被災地は「どこへ向かうのか」 フォトジャーナリスト豊田直巳さんと歩いた
2026年1月26日 06時00分

<消える記憶 消される記憶>㊤楢葉町双葉町


 東京電力福島第1原発事故は3月で発生から15年となる。この間、被災地は除染や解体によってどんどん姿が変わり、元の街を思い出すのが難しい状況になっている。発生当初からずっと撮影し続けているフォトジャーナリストの豊田直巳さん(69)と一緒に現地を回り、撮りためた写真と現在を見比べながら、現地の状況を2回に分けてお伝えする。(山川剛史

www.tokyo-np.co.jp

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www.youtube.com
【前編 消える記憶 消される記憶 フォトジャーナリスト豊田直巳さんとたどる 楢葉町〜双葉町】
 (https://www.youtube.com/watch?v=afR3FHuDNSQ&t=13s

 2026年3月で東京電力福島第1原発事故から15年となります。いま原発事故で被災した地域は家屋などの解体が進み、元の住民ですら元の街並みが思い出せないような状況になっています。事故発生当初から現地に通い、記録し続けてきたフォトジャーナリストの豊田直巳さんと被災地を回り、かつての画像と見比べながら被災地のいまを2回に分けて考えます。
 動画中では、豊田さんの写真絵本「原発災害は今も それでも『ふるさと』」(農文協)シリーズに収録されている多くの写真をお借りしました。

 

00:00 楢葉町 役場前や天神岬、波倉地区
05:00 富岡町 富岡駅や夜の森地区
09:14 大熊町 文化センター跡や大野駅周辺
11:47 双葉町 前田川にかかるJR常磐線鉄橋
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     (マップ上の①双葉町の鉄橋崩落現場=2011年3月撮影)

     (マップ上の①現在の崩落現場)

①震災2日後に訪れた双葉町の鉄橋崩落現場。毎時6.7マイクロシーベルトという異常な放射線量を検出。豊田さんはとんでもない原発事故が起きていると実感


     (マップ上の②楢葉町の天神岬から広野火力発電所方向=2011年11月)
     (マップ上の②現在の天神岬)

②楢葉町の天神岬から広野火力発電所方向を見ると、消波ブロックは壊れ、津波の水が陸地に残っていた。現在は防潮堤が整備されている


     (マップ上の③JR常磐線富岡駅=2011年11月)
     (マップ上の③再建された現在の富岡駅周辺)

③JR常磐線富岡駅やその周辺は大津波で流され、原発事故の被害も受けた。同じ場所にレールが敷き直され、駅も再建。「初めて…………………。
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/468626

原発事故から15年、フォトジャーナリスト豊田直巳さんと歩いた双葉町~飯舘村 被災地は「どこへ向かうのか」
2026年2月16日 16時00分


<消える記憶 消される記憶>㊦楢葉町双葉町

 フォトジャーナリスト豊田直巳さん(69)が撮りためた写真でたどる東京電力福島第1原発事故の被災地の記憶。今回は双葉町から北上し、飯舘村民が避難していた仮設住宅跡までを回る。(山川剛史

www.tokyo-np.co.jp


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www.youtube.com【後編 消える記憶 消される記憶 フォトジャーナリスト豊田直巳さんとたどる 双葉町〜飯舘村】
 (https://www.youtube.com/watch?v=udfxrZmR-H0

 2026年3月で東京電力福島第1原発事故から15年となります。フォトジャーナリストの豊田直巳さんと被災地を回る後編は、双葉町を出発し、浪江町、飯舘村の記憶をたどります。
 動画中では、豊田さんの写真絵本「原発災害は今も それでも『ふるさと』」(農文協)シリーズに収録されている多くの写真をお借りしました。


00:00
 双葉町 双葉厚生病院や正福寺、冨沢酒造

06:57 浪江町 新町通りと赤宇木の民家跡
10:22 飯舘村 伊達市にあった仮設住宅跡
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◆今回紹介する写真の撮影場所は

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①双葉町の防潮堤からは原発の様子が見えた。水素爆発を起こした1、3、4号機の原子炉建屋は壊れ、2号機から水蒸気が上がっていた。「高濃度の放射性物質を含む水蒸気であることは直感的に分かった」と豊田さん

     (①現在の福島第1原発)
     (①2011年4月 水蒸気を上げる福島第1原発2号機)


②浪江町の海側に向かうと、道路はめちゃくちゃになり、農地は津波がれきで埋め尽くされていた。そこには遺体もあった。その後も地元消防団らによる捜索を取材した。「まさかあの土地で営農が再開されるとは」と豊田さん

     (②2011年4月 地震で大きく損傷した道路)
     (②2015年3月 捜索する消防団)
     (②浪江の海側で撮影する豊田さん)


③飯舘村民向けの仮設住宅の一つが伊…………………
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 (➙変だなと思っていたら、「管理者によって許可されていないため、参加できません」…でした!! 何故に、管理者殿のお怒りを買い除名されたのか!? 『goo blog 及び他サービス出身者の情報交換の場です。参加条件は「はてなブログの規約やガイドライン守る」「公序良俗に反することは書かない」「誹謗中傷、迷惑行為、宗教の勧誘は行わない」「拡散の促しは禁止」です。違反すると非表示になります』…う〜んっ、守っているし、書いていないし、行っていないし、促していないし…。謎だ!?)