
(2026年3月10日[火])
東京電力福島第一核発電所人災、「誰も責任を取らない」でいいのか? 昨年、(2025年3月、東京新聞)《武藤類子さん…刑事告訴するための準備を含めて13年間を費やしてきた。…事故から14年が迫る中での決定に「目前での判断は、被害者の気持ちを踏みにじる。冷酷さを感じる」と涙を拭った》。(片山夏子記者)《「私たちはいま、静かに怒りを燃やす東北の鬼です」 2011年、東京電力福島第1原発事故の半年後に東京で開かれた集会で…武藤類子さん…》。あれから、15年。
「誰も責任を取らない」、何の問題も解決していない、全く「原状回復」する気なし、なのに、「原発回帰」・核発電全開…。狂っているね、この国は。
武藤類子さんについては、以下のブログを:
片山夏子記者による、東京新聞の記事【こちら特報部/原発事故で「鬼」になった武藤類子さんの15年 「誰も責任を取らない」裁判が終わっても、抗い続けるのは】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/473798)によると、《「私たちはいま、静かに怒りを燃やす東北の鬼です」 2011年、東京電力福島第1原発事故の半年後に東京で開かれた集会で、福島県三春町から参加した武藤類子さん(72)が約6万人の聴衆に語りかけた言葉だ。その後、東電旧経営陣の幹部3人を刑事告訴した告訴団団長として、数々の原発訴訟の法廷に足を運び、事故の責任を問い続けてきた。各地で再稼働が進む今、何を思うのか。武藤さんの15年を追った。(片山夏子)》。
15年目ブログをはてなリンク
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/473798】
こちら特報部
原発事故で「鬼」になった武藤類子さんの15年 「誰も責任を取らない」裁判が終わっても、抗い続けるのは
2026年3月10日 06時00分
「私たちはいま、静かに怒りを燃やす東北の鬼です」
2011年、東京電力福島第1原発事故の半年後に東京で開かれた集会で、福島県三春町から参加した武藤類子さん(72)が約6万人の聴衆に語りかけた言葉だ。その後、東電旧経営陣の幹部3人を刑事告訴した告訴団団長として、数々の原発訴訟の法廷に足を運び、事故の責任を問い続けてきた。各地で再稼働が進む今、何を思うのか。武藤さんの15年を追った。(片山夏子)
◆「国は国民を守らない。私たちはすてられたのだ」
2011年9月19日の「さようなら原発集会」。東京・明治公園を埋め尽くした人たちを前に、武藤さんはこう呼びかけた。
「福島のみなさん。どうぞ一緒に立ち上がってください」
福島県内や避難先から何台ものバスを連ね、被害に遭った自分たちこそ「原発はいらない」と声を上げようと、誘い合って会場に来た人たちだった。
www.tokyo-np.co.jp「さようなら原発集会」で脱原発を訴える作家の大江健三郎さん(中)。右端が武藤類子さん=2011年9月19日、東京都新宿区の明治公園で(https://www.tokyo-np.co.jp/article_photo/list?article_id=473798&pid=2493032)
「みなさん、福島はとても美しい所です。(中略)3.11原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降り注ぎ、私たちはヒバクシャになりました」
「毎日、毎日、いや応なく迫られる決断。逃げる、逃げない。食べる、食べない。(中略)さまざまな苦渋の選択がありました」
事故から半年たって鮮明になってきたこととして、武藤さんは言葉を継いだ。
「真実は隠されるのだ。国は国民を守らないのだ。事故はいまだに終わらないのだ。(中略)大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ。私たちはすてられたのだ」
事故から15年がたつ今、このときの自分の言葉が武藤さんの胸によみがえる。
◆悲しみや悔恨、絶望が入り交じった猛烈な怒り
2012年、福井県の関西電力大飯原発3号機が再稼働する際、首相官邸前は子どもを連れた母親や若者、会社員など、危機感を持った人で埋め尽くされた。だが今、国は原発を最大限活用するとし、各地で再稼働が進む。
「あんなすさまじい事故が起きたのに、たった15年で忘れられていく。考えてみると、あのときもう今の状況を感じていたのかもしれない」
明治公園の集会で「東北の鬼」という言葉を使うかは悩んだという。事故から半年の自分の心情をどう伝えたらいいのか。
www.tokyo-np.co.jp原発事故前まで喫茶店をやっていた所で事故から15年を振り返る武藤類子さん=福島県田村市で(https://www.tokyo-np.co.jp/article_photo/list?article_id=473798&pid=2493031)
武藤さんがスピーチの内容を考えていたとき、頭によぎったのは、全国各地の民俗舞踊を習う中で、かつて見た岩手県北上地方を中心に踊られてきた「鬼剣舞(おにけんばい)」の躍動する舞だった。
原発事故でぼうぜんとした後、襲ってきたのは悲しみや悔恨、絶望が入り交じった猛烈な怒りだった。
◆搾取され蹂躙されてきた東北、象徴するのが「鬼」
「その怒りを表現したのがあの言葉だった。東北は歴史の中で貧しく、中央から虐げられた土地だった。電気だけでなく、人やさまざまな物が搾取され、いろいろなことで蹂躙(じゅうりん)されてきた。『鬼』は東北が中央からどう扱われてきたかという悲しい一面を象徴していると思うのです」
火にはさまざまな表情がある。まきの表面をなめる炎は濃い赤で激しく動く。やがて明るい朱色のなめるような炎となり、さらに中心が火の玉を抱いたように白くなるという。
「時間がたつにつれますます困難を極める福島の中で、エネルギーを内包したおき火のような冷静で静かな怒りを、私たちの生きる尊厳を奪うもの、命をないがしろにするものに、ぶつけていかなければならない」
◆里山喫茶で意識するようになった「コンセントの向こう側」
武藤さんが原発問題に取り組み始めたのは、1986年に旧ソ連で起きたチェルノブイリ(チョルノービリ)原発事故だった。
「そのころ姉が骨髄性白血病を発症した。私たち姉妹が育った時代は米ソの核実験の最中だった。もちろん因果関係の立証はできないが、私が原発に向き合う一つのきっかけになった」
チェルノブイリ原発事故後、反原発運動は各地で盛………………。
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武藤類子さんと福島、原発(https://www.tokyo-np.co.jp/article_photo/list?article_id=473798&pid=2493033)=====================================================